ジローくんは、醜い私を泣き止むまで抱きしめていてくれた。
お礼を言おうとしたら、テニス部のジャージを着た背の高い子がドアのところに立ってて。

「ウス」

一言そう言って、ジローくんを掴んで去っていってしまった。
そこで初めて知った。
彼がテニス部の人だって事。
金髪の人なんて見た事なかったから知らなかった。
どうりで教室入って来た時、女の子がはしゃいでいたわけだ。
私はしばらくぼーっと立ち尽くした後、真っ白なノートと何も書き込まれてない綺麗な教科書を鞄に詰め込んだ。
教室を後にし、誰もいない薄暗い廊下を一人歩く。
空気は凛としていて冷たい。雨の独特の匂いが鼻を掠める。
そして気付く。

「あ、傘忘れた」

誰かの置き傘でも借りて帰ろうかなと、傘立てに目をやるがそこには無残にもボロボロになった傘が一本あるだけ。
その他の傘は全て綺麗になくなっていた。
そこに無残に転がっている傘が、とても自分と似ている気がした。
止まなさそうな雨を見て、一つ溜息をつく。
小雨なら走って帰れるけど、流石にこの土砂降りは無理だな・・・
雨が降り止むまで待とうと、少し段差になっているところに腰を降ろした。



にしても、寒い。
どんどん体温が奪われていくのがわかる。
手も氷のように冷たくなってきて。
だけど、無情にも雨は降り止もうとしてくれない。

「このまま帰ったら風邪ひくかなぁ・・・」

でも風邪ひいて学校休んだら、岳人の顔を見なくて済むか・・・

「どうしたんですか?」

その声に顔を上げると背の高い男の子が土砂降りの中、佇んでいた。
その子もまた、テニス部のジャージを着ていた。
男の子は傘を畳んで、駆け寄ってきて私の前にしゃがみ込む。

「大丈夫ですか?顔色悪いですよ。先生呼んできましょうか?!」

この子、確か鳳くんだ。
遠目ではわからなかったけど、近くに駆け寄ってきてくれてわかった。
見ず知らずの他人に親切な子だなぁと思った。
私の意見を聞かないで、立ち上がろうとした彼のジャージを引っ張る。
けど、手が悴んでて力が入らなくて。

「大丈夫だから。傘忘れて雨宿りしてただけ」
「でもっ」
「部活中なんでしょ?早く行かないと怒られちゃうよ」
「・・・っじゃあ、この傘使ってください」

そう言って鳳くんは自分が持ってた傘を、私に無理やり押し付けた。

「えっいや、でも!」

慌てて返そうとしたけど、時すでに遅し。

「早く帰って、体温めてくださいね!」

満面の笑みで、私に手を振りながら鳳くんは雨の中に消えていった。
本当にいい子だなと思う反面、私の心は罪悪感でいっぱいだった。
冷えた足でふらつきながらもゆっくり立ち上がり、鳳くんから貸してもらった傘を開いた。
空を見渡せる、透明なビニール傘。

バシャン。

土は水を含み、あちらこちらに水溜りがあって。
気を付けて歩いてても、水は容赦なく靴の中に染み渡る。

「うぅ・・・気持ち悪い」





「すみませんっ遅くなりました!」

そう言って帰ってきた長太郎は頭からびしょびしょで。
ジャージも水を含みすぎて、水滴がぽたぽたと滴り落ちていた。

「お前、傘はどうしたんだよ?!」

宍戸が長太郎に駆け寄る。

「あはは、すみません。雨宿りしてた女の人にあげてきちゃいました」
「はぁ・・・お前、本当お人好しというか、なんというか」
「・・・ちゃんだ」

隣にいたジローが小さく呟いた。
なんでそんなことわかるんだよって思った。
けどジローの瞳は真っ直ぐ長太郎の方を見据えいて、そんな事言える雰囲気じゃなかった。
気付いたら、体が勝手に動いてた。

「長太郎っサンキューな!」

あいつに傘を貸してくれた長太郎に礼を言って。
俺は長太郎の横を走り抜けて、雨が降る外の世界へ飛び出した。
バシャバシャと泥が足に絡まる。
上手く走れない。雨で前が見えない。
だけど、走った。
水溜りを避けながら、ぴょんぴょん跳ねている、を視界に捕らえた。

「っ・・・!!」

足元にあった水溜りに向けられていた視線が俺に向く。

「が・・・く、と・・・?」

バシャンッ!!

水が跳ねる。
は、水溜りに足を突っ込んでいた。

「っ!つめたっ」

そう言って、上げた足は泥と水でぐちゃぐちゃで。

「っ、が、岳人のせいだ!」

無理に怒ってみせるが、無性に愛おしく思えた。
抱きしめたいと、そう思った。

「・・・どうしたの・・・?」

だけど俺には出来ない。
打ち付ける雨の感覚はなくて、気が付けばが傘を持ってこっちに来てくれていた。

「いや・・・長太郎がびしょびしょだったからさ」
「あ、大丈夫だった!?傘、貸してくれるって言って、そのまま行っちゃって」
「大丈夫だよ、テニス部の奴らはそんな柔じゃねーからさ」
「・・・そっか、よかった・・・」
「で、ジローがさ」

『ジロー』

その名前を出した瞬間、の瞳が揺らいだ気がした。

「ジローが、だって言うから」
「・・・」
「気付いたら、体が勝手に動いてて。ここに来てた」



思いもよらなかった岳人のその言葉にただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。

「・・・っじゃ、俺部活あっから!気をつけて帰れよ!」

そう言い残して、踵を返して岳人は行ってしまった。
何も言えなかった。
その言葉が頭に、胸に、響いて。
髪色と同じ、真っ赤になった岳人の顔が頭から離れない。



幸 福 な 瞬 間

(嬉しかったよ、ありがとう)



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