有名私立幼稚園。
それがこの氷帝学園幼稚舎。







「はい、みんなお歌の時間ですよー!」

私はここで先生として園児達のお世話をしている。

「みんなピアノの周りに集まってねー」

担当はバラ組。

「今日は“かえるの歌”を歌いたいと思いまーす」
「「「「「はーい!」」」」」

だけど、このバラ組には問題児が7人もいる。

「かーえーるーのーうーたーがー♪はいっ」
「「「「「かーえーるーのーうーたーがー♪」」」」」

毎日繰り広げられる、この手強い園児達との戦いが今日も始まろうとしている。

「ほらっ景吾くんも一緒に歌わないと!」

みんな大きな口を開けて元気に歌っているのに、景吾くんはむすっとしたまま口を開こうともしない。

「こんな幼稚な歌、俺たまは歌わない」

(・・・また始まった)

「きーこーえーてーくーるーよー♪」
「「「「「きーこーえーてーくーるーよー♪」」」」」

「景吾くん、一緒に歌おうよ!」

隣にいた岳人くんが景吾くんに声をかける。

「そうだよ、ほら岳人くんも誘ってくれてるんだから一緒に仲良く「イヤだ」

フンッとそっぽ向く景吾くんを見て、岳人くんの瞳が潤むのがわかった。

(やば・・・!!)

「が、岳人くん?ほら侑士くんと一緒に歌おう?ね」

慰めるように岳人くんの頭をそっと撫でると、余計に涙腺が弛んだのか岳人くんの瞳からぶわっと涙が溢れる。

「うわぁぁぁあああぁああん」

「、がっ岳人くん・・・!?」
「ウス!ウス!ウス!ウス!(グワッ!グワッ!グワッ!グワッ!)」
「・・・む、崇弘くん・・・カエルは『ウス』とは鳴かないからね・・・?」
「うわぁぁあああぁぁぁあん」
「が、岳人くんっほら一緒にジャンプして遊ぼうか!」
「ひっく・・・あう」
「どっちか高く飛べるか先生と勝負ね!いくよーせーのっ!じゃーんぷっ!」



ゴッ・・・!!



(ゴッ・・・?)



「ひぃぃ!が、岳人くん!!」



私の「せーのっ」の合図で岳人くんは私より高く飛んだ。
・・・のはいいが、着地する時にフローリングで滑って転び、後頭部を打ったようで・・・
岳人くんは突然の出来事にびっくりしたのか、仰向けになって大の字に寝転がったまま動かない。
そしてしばらくして再び岳人くんの涙腺が弛む。

「うわぁぁぁあああぁあぁん」

「ごめんね、ごめんね、痛かったね!先生が悪かった!ごめんね!」

どどどどど、どうしよう・・・!
岳人くんを抱き上げて後頭部を優しく撫でる。

「痛いの痛いのとんでけー!」
「うぁあああん、ひっくひっく」

岳人くんをなだめていると、エプロンが引っ張られてその方へ視線を落とす。
そこには指をくわえたジローくんが立っていて。

「ん?ジローくんどうしたの?」
「だっこ」
「え?」
「僕もだっこ!」

両手を私の方に伸ばして甘えるジローくん。
もうすぐで泣き止みそうな岳人くんを抱えた私。

「ジ、ジローくん、ちょっと待ってね」

優しくそう言うと、ジローくんは頬っぺたを風船みたいに膨らます。

「今がいいの!」
「ジローくん、いい子だからちょっと待ってね。ほら、亮くん達と遊んでおいで?」

「ぅう・・・せんせいがっくんばっかりだ!うわあぁぁぁぁん

「ジローくんっごめんね、先生ジローくんも大好きだよ?いい子いい子」

軽くしゃがんで、ジローくんの頭を撫でる。
そうすると今度は岳人くんが泣き始める。

「うわぁぁぁぁああぁん」

「わわわ、岳人くんっ」

両方に泣かれてどうしたらいいのかわからなくて、私まで泣きそうになってたら目の前にいたジローくんがひょいと誰かに持ち上げられた。

「・・・日吉先生・・・?」
「ジローくん、先生を困らせちゃダメだろう」
が泣かした!」

その声の方に目をやると、景吾くんが私を指差していた。



(こ、このクソガキ・・・!!)



「こら、“”じゃなくて“先生”と呼びなさい」

日吉先生はぽんっと軽く景吾くんの頭を叩く。

「ぶふっ、景吾くんせんせいに怒られてる!激ダシャだ」

それを見ていた亮くんが景吾くんをからかう。

「っうるさい!亮くんのバカ!」
「なっ俺はバカじゃない!」
「じゃあ駆けっこで勝負だ!」
「いいよ!」
「えっちょっと2人とも!」

部屋の外に勢いよく飛び出していった二人を呼び止めるが、声は空しくも届かず・・・いや、届いててもきっと止まらないんだろうけども!
思わず溜息が漏れる。

にゃー

(・・・ん?)

猫らしき鳴き声が聞こえて、不思議に思った私はその鳴き声の方を振り返ると廊下に猫が1匹、我が物顔で歩いてた。

「ひ、日吉先生・・・」
「はい?」
「ここって猫飼ってましたっけ?」
「は?猫なんて飼ってませんよ」
「・・・ですよね」

じゃあ、なんで猫が廊下歩いてんの!?
そう思った瞬間。







「ね――こ――しゃ――んっ!」



長太郎くん!?

「えっちょ、長太郎くん!」

長太郎くんはものすごい勢いで猫に向かって走っていく。

に゛ゃ!!

「ねこしゃん、怖くないよ。おいで?」
「日吉先生、岳人くんお願い!!」

私は抱えていた岳人くんを日吉先生に預けて、長太郎くんの方に向かって一目散に走り出した。

「長太郎くん、ダメっ・・・!」
「・・・しぇんしぇい?」



シャーッ!!



「っ―――!」



間  一  髪  。



猫に手を伸ばす長太郎くん。
その姿に猫は危険を感じたのか、差し出された小さな手に向かって爪を立てる。
ギリギリのところで私は長太郎くんを抱き上げた。

あ、ぶな・・・!

無事だったからよかったものの、もしも・・・そう考えるとゾッとする。
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、左手に走る激痛。

「っつ・・・」

長太郎くんを抱きかかえていられなくなって、そっと降ろす。
左手の甲を見ると猫に引っ掻かれた傷がそこにはあった。

「あ・・・」

長太郎くんを抱き上げた時に、運悪く猫の爪に触れてしまったのだろう。
意外と深かったその傷口からは、血が滲み、床に滴り落ちた。

「しぇ、しぇんしぇい・・・血・・・」

それを見た長太郎くんが、涙目になりながら私の名前を呼ぶ。

「ん?血?これは血じゃないよ、長太郎くん」

ズキン、ズキン、ズキン

「さっき先生お絵かきしてたから、絵の具がその時についたんだね」

ズキン、ズキン、ズキン

「ほんと・・・?」
「うん、先生の言うこと信じられない?」

ニコッと笑って見せると、長太郎くんは大きく首を横に振った。

「じゃあ、長太郎くんは日吉先生と遊んでおいで?先生は猫さんをお家に連れて帰らないといけないから」

長太郎くんは少し濡れた瞳を拭って、部屋にいる日吉先生のもとへ走っていった。
それを確認して、私は足元で警戒している猫に手を伸ばす。

「ほら、お家帰ろ?」

野良猫にお家なんてないけども。

「そんなところに居たのか、探したぞ。シャム」

向こうから歩いてくる人に気づいて顔を上げるとそこにいたのは・・・

「榊園長・・・?この猫、園長の猫なんですか?」
「ああ、いつの間にか園長室から抜け出してな」



(幼稚園で猫なんて飼うなよ・・・!)



思わず突っ込みそうになったが、一応園長だからそんな事は言えない。
園長はひょいっとシャムという名の猫を抱き上げる。

に゛ゃ。

嫌そうな声をあげる猫に一瞬冷や汗をかく。

(え、園長にまで引っ掻いたりしないよね・・・?)

先生、その左手・・・」
「えっあ、これは・・・」

左手をそっと後ろに回して隠す。

「さっきみんなでお絵かきしてた時に絵の具がついちゃって」

あはは、と笑うと園長の瞳が鋭く私を捉える。

「そんな子供騙しが私に通じるとでも思っているのか?」
「・・・すみません・・・」
「・・・いや、こちらこそすまない。私の猫が悪い事をした」
「いえっ、」
「さあ、きなさい。手当てしよう」
「大丈夫ですよ、こんな傷。大した事ありません」
「だが、」
せんせー」

またエプロンが引っ張られて、視線を落とすと侑士くんがいた。

「ん?侑士くん、どうしたの?」
「お外で景吾くんと、亮くんが喧嘩してるねん」
「え!?すみません、園長!私、行ってきます」
「ああ、それが終わったら必ず手当てしなさい」
「はい!」
「ありがとうね。侑士くんはお部屋で日吉先生と遊んでてね?」
「うんっ」

「いい子いい子」と頭をそっと撫でてあげると、侑士くんは嬉しそうに少し微笑んで部屋に入っていった。

ふぅ・・・



あんのガキャー!!



手が痛むのも忘れて、私は広場に向かって駆け出した。

「俺の勝ちだってば!」
「俺たまのが速かった!」

広場に近付くと聞こえてくる2人の声。

「こらっ!!何してるの、2人とも!」

大声を張り上げて二人の前に飛び出せば、2人は驚いた顔をしてこっちを見上げる。
暫くの沈黙の後、景吾くんが口を開く。

「俺たまの方が速かったのに、亮くんが嘘ついた!」
「嘘ついてるのは、景吾くんの方だ!」

ズキン、ズキン、ズキン

走ったからか、再び左手が痛み出す。

「亮くんの嘘つき!」

ズキン、ズキン、ズキン

「景吾くんなんて大嫌いだ!」

ズキン、ズキン、ズキン

私は喧嘩する2人を包み込むようにして抱きしめた。

「せ・・・んせい・・・?」
「嘘つきとか、大嫌いとかそんな悲しい事言っちゃ駄目だよ」

ズキン、ズキン、ズキン

「お友達にそんな事、嘘でも言っちゃ駄目」

ズキン、ズキン、ズキン

「景吾くんと亮くんは賢いからわかるよね?」

負けず嫌いな2人だから、わざとこういう言い回しをした。

ズキン、ズキン・・・

あ・・・れ・・・なんか体が熱くなってきた・・・かも・・・

「ほら、仲直りの握しゅ・・・」

・・・ズキ、ン・・・

ずるっ・・・

「せ、せんせい!?」
「!?」


ああ・・・園児に心配かけるなんて、私最低だな・・・





ピチャン・・・

頭に冷たいものが触れる感触がして、私はゆっくり重い瞼を開く。

先生、目が覚めましたか」

定まらない視点の中、日吉先生の声が聞こえた。

「日吉・・・先生・・・?」

視界がはっきりしてくる。

先生、無茶しすぎです」

そう言う日吉先生の顔は少しムスッとしていて。

「あはは、ごめんなさい・・・」
「やはり、あの時すぐ消毒して手当てしておくべきだった」
「園長・・・」
「きっと菌が入ってしまったんだろう」
「どうして怪我した事黙ってたんですか?」
「・・・すみません」
先生の気持ちもわかりますが、俺の気持ちも考えてください」
「・・・はい・・・」
「では日吉先生、後は頼む」
「はい、お疲れ様です」
「そうだ、先生」
「はい・・・?」
「あの2人が私達に知らせてくれたんだ」
「・・・え」

園長はふっと優しく微笑んで、部屋から去っていった。



「せんせー!せんせっ・・・!しっかりして!」
「亮くん!俺たまここでせんせい見てるから、日吉せんせい呼んできて!」
「でもっ・・・」
「大丈夫だよっ亮くん走るの速いんだから!」
「・・・うんっ」



「俺を呼びにきた亮くんがそう言ってましたよ、嬉しそうに」
「そう・・・あの2人が・・・」

さっきまで喧嘩してたくせに・・・
少し涙腺が緩む。

「バラ組は純粋でいい子達ですね」
「・・・はい」

嬉しくて顔が緩む。

「自慢の園児達です」
「でも・・・心配だからあまり無理しないでください」

そう言った日吉先生の顔が近付いてきて、私はぎゅっと目を瞑る。
唇にそっと触れた柔らかい感触。

「っ・・・!ひ、日吉先生・・・!?」



「「わー!日吉せんせーとせんせーがチューしたー!!」」



「岳人くん、ジローくん!?」

声の方に目をやると、ドアの隙間から岳人くんとジローくんが顔を覗かせていた。

「こ、こらっ!待ちなさいっ・・・!」
先生!動いたら駄目です!」



「「キャ―――ッ!!きた―――!!」」



私に平穏な日々はくるのでしょうか?
いや、きっと無理だろう。
この7人の問題児がいる限り。



inserted by FC2 system